お侍様 小劇場

    “午後の紅茶 〜Tea time(お侍 番外編 9)
 


 この冬は結構暖かく、穏やかなお日和が多いと油断させておいての隙をつき。途轍もない寒波と台風並の強風が合体しての、未曾有の大吹雪を齎したのが、猛暑日に続いて日本におけるメジャーな気象用語になりつつある“爆弾低気圧”とやら。いくら“大寒”の頃とはいえ、年末に襲い来たそれよりも威力は大きく、襲われた関東や北陸、北日本地方には、様々に被害も出たほど途轍もないものだったのだけれども。過ぎてしまえば、お空も風もあっけらかんとしたもの。外気温は低いままながら、浅い水色のお空からガラス越しに射し入る陽光はあくまでも優しい色合いで。それに照らされた綿毛を尚の金色にけぶらせて、

 「…あ、ほら。動いてはなりませんてば。」
 「〜〜〜。」

 くすぐったかったものか、肩をすぼめるようにしてひくりと身を震わせたお膝猫へ、おっ母様がやんわりとした窘めのお声をかけている。

  ―― 痛かったですか?
      〜〜〜。(否)
      そうですか? じゃあ、今度は反対側。

 陽あたりのいいリビングの、テレビ前に広めに空いていた空間へ。少し分厚いラグを持って来の、そこへと…膝頭を開いての“割座”ではなく、きちんとした正座で腰を下ろしたのが七郎次。いかにも清々しい良い姿勢になった彼から“さあおいで”と手招きされたは、朝から妙に耳元を気にしていた久蔵で、久し振りにお耳を見ましょうという運びならしく。ちょっぴりもじもじ含羞んでいたものの、ぽんぽんと手のひらで腿を叩いての“此処へ”と催促をされると、そこは素直に…お膝をついてのにじり寄り。そのまま床へと手をつき肘つき、そろりそろそろ、綿毛の載った頭をおっ母様のお膝へと乗っけるところは慣れたもの。ソファーに腰掛けての方が楽だろにと思われたが、それだと陽光の射す角度が微妙に手元まで届かないのらしく。
「痛かったら言ってくださいね?」
「…。(頷)」
 襟元からシャツの襟を覗かせた、臙脂色のセーターに黒っぽい綿パン姿。相変わらずの痩躯を赤子のようにやや縮こめているところが、見ようによっては何とも幼くも見えるけど。これでも高校生の、しかも全国大会チャンプの剣豪でもある久蔵を。ほ〜らいい子とお膝にいなしつつの、まるきり子供扱いでいるところは、母上ならではな余裕というべきか。無論のこと、こうまで無防備な姿で相手の間合いともいうべき手元にいることからして、久蔵の側からの絶大な信頼も自ずと知れるというものであり。
“…そんな大層な。”
 あはは…。ついつい原作のカラーの延長が。
(苦笑) それはともかく。ほわほわと暖かな陽だまりの中で、いかにも暖かな構図となっているお二人であり。白いお手々が優しく動いては、細い耳かきをそろそろと操っていた七郎次であったけれど、
「うん。どちらもそんなに汚れちゃあいませんね。」
 何か痒かっただけでしょかねと、傍らにおいておいたティッシュで耳かきの先を拭って、別の新しいので耳朶をくるりと拭いてやって、はい終しまい。おいでをされた時はあれほど含羞みが先に立ってたくせに、暖かだった手が離れると、
「…。」
 ちょっぴり名残り惜しいというよなお顔になる次男坊だったの、見逃さなかったおっ母様。それでもそこは男の子。とっとと見切りをつけて、肘を立てての身を起こした彼の耳元へ。ちょいと悪戯心が起きてのこと、少しばかり身をかがめつつ口元を近づけて、ふっと吐息を吹き込んでやったれば、

 「…っ☆」

 これが猫なら“ニャッ!”とか“ミギャッ!”と声を上げたとこだろが、こういう時まで寡黙な彼は さしたる声も上げぬまま。とはいえ、驚きはしたのだろう。反射としては十分に素早い反応で“びびくぅっ”と細い肩を撥ねさせると総身を固まらせ、バランスが乱れたかそのまま向こう側へと倒れ込みかかったので、
「おっと。」
 ばったり倒れ切る前に、おっ母様の腕が伸びて来て。軽い身体をくるりと抱きとめて下さったため、ラグ越しとはいえフローリングの床へと頭をぶつける難からは、何とか免れられた模様。
「ごめんなさいね。驚かすつもりはなかったんですが。」
 本当に反省しているものだか少々怪しいほど、仄かに含み笑いをしたまんまな七郎次であったものの、
「〜。/////////
 いいの、どっこも痛くはなかったしと。気にしないでということか、かぶりを振って見せるところがまた…健気というか柔順というか。あらためて手をつき膝をつきして身を起こすのを、ぐいと、今度はこちらの意図を視線で届けつつ、七郎次が懐ろへまで引き寄せれば、
「〜〜〜。/////////
 久蔵の側からもしなやかな腕が伸びて、肩口へと掴まって来。こちらさんは今日はモヘアのセーターを着ていての、殊更ふんわりした感触の胸元へ。頬を埋めてのぎゅうと抱きついてくる甘えっぷりが、おっ母様にしてみれば可愛いったらしようがなく。

  そして、そんな七郎次が巡らせた視線の先では……。

 やれやれというお顔を作りながらも、目許はやんわり微笑っておいでの御主・勘兵衛様が。窓辺のソファーに座し、射し込む陽光に濃色の蓬髪を暖められながら、顛末の全部、一部始終をすっかりと見ておいで。今日は日曜で、でも、日頃は曜日なんて関係がない出勤をなさっておいでの彼だのに。今日は珍しくも久々に、久蔵もいるごくごく一般的な休日に休みが取れた。だからといって、じゃあ家族でどこかに出掛けようかと思い立つほどには至らぬまま。父上は、それは仕事に関わりがないと言い切れるのだか、新聞へと眸を通しておいでだし。母上と坊っちゃんの方は方で、家事の合間に今のように他愛ないことでじゃれ合って見せてと、それはのんびりと時を過ごしておいでのご一家であり。それらしい触れ合いやら会話やらがなくたって、勘兵衛が一日中傍らにいるというだけで嬉しいものか。家人たちのテンション、実はこれでも少々高い目なようだし。御主は御主で、愛らしい家人らがじゃれ合う様の微笑ましさが、これ以上はない眼福であり。それがこうまで間近にあるのが、そうは見えないかもしれないが、やっぱり嬉しくてしようがない。

 「そろそろお茶にしましょうか。」

 うっとりと抱きついたまんまの久蔵を懐ろに抱えたまま、ついと壁にかけられた時計を見上げた七郎次が、その視線を御主へと向けると、
「昨日“アンダンテ”に寄ったら正宗さんがいらしたので、特製オペラを作っていただいたんですよ。」
 そうと続ける。すると、
「おお。」
 意外にも“それは楽しみだ”というようなお返事が勘兵衛から返って来たので、
「???」
 あれれぇ?と今度は久蔵が小首を傾げていたりして。アンダンテというのは、ちょっと遠出をした先のショッピングモールにある、超有名な高級スィーツ店の名前であり。商店街の“ラフティ”よりも値段が張る分、品揃えも豊富だし、一つ一つの味わいも大人向けで多岐多様。とはいえ、甘いものは料理でも飲み物でもあんまり得意ではない勘兵衛ではなかったかなと、そこはさすがに久蔵も把握しており。なのに歓迎しているような言いようなのが、次男坊には腑に落ちなくて。
「さ、久蔵殿も手伝って下さいませね。」
「…。(頷)」
 不審に思いつつも、おっ母様からお声をかけられると…身体が勝手に従っている。うんと頷き、枝垂れかかる格好になってたそのお膝から、身軽にひょいと立ち上がっての。手を差し伸べて“どうぞ”と立たせて差し上げるところまでが、当然至極の1セットになっており。七郎次の方でも“おや、すいませんねぇ”と甘えて差し上げ、金髪美人が二人揃ってキッチンの方へ。そんな二人を見送って、
「…。」
 何とも感慨深げな眼差しを瞬かせたは。久蔵がお膝猫ならこちらは大型犬よろしく、愛しい家人らの振る舞いを寡黙にも見守っていた御主様。つい先日、爆弾低気圧に負けない規模の、ちょっとした“嵐”が襲来した島田家であり。だが、その修羅場、彼らの間では既に“なかったこと”扱いになっている。七郎次の様子が変だと久蔵に告げられ、それとなく身辺を探った勘兵衛が不審な人物の接近を知り。それなりの対処を取ったのが間に合ってくれたから良かったものの、さすがに一両日ほどは元気がない様子だった彼を案じてのこと、

 『お主がしっかりせねば いかんではないか。』

 家事にと立った七郎次の隙をつき、こそり、叱咤勉励下さった、久蔵の大真面目だったお顔を思い出す。
『なにごとからも妻を護るは夫の務めであろうが。』
 それをあんな、下らぬ女に一方的に言いたい放題させた揚げ句に泣かせてしまってと。こればっかりはいくら父代わりの存在であれ許せないとばかりの言いようを、

 “相手の膝の上へ跨がって…というのは、少々奇を衒っていたけれど。”

 七郎次の耳へ入れぬよう、小声での問答となったため…という運びであったのだろうけど。甘えるようにと見せかけてのこと、そんな体勢になっていながらも態度や言いようは大威張りだったところが、相変わらずに掴めぬ坊っちゃんで。思い出したついでに、つい、くつくつと苦笑をしたが。
“…。”
 彼の真摯なお顔によるご指摘自体は、至極もっともだと思った勘兵衛で。決して肝が小さい七郎次ではなく、公私ともにおよそどんな揺さぶりにも動じない彼ではあるも、ことが大切な人への配慮となると話は別。勘兵衛の名や肩書へ傷が残らぬならば、自分などどうなっても良いからとまで思うところが、こたびは何とも歯痒くて。

 “…しっかりせねば、か。”

 うかうかしているようならば、俺が成人した暁には奪ってしまうやも…なんてな言いようまでされてはと。更なる苦笑を重ねていれば、
「お待たせしました。」
 そんな確執があったことなぞ きれいさっぱりと払拭したらしき、清々しいお顔が戻って来。抱えて来たトレイからソファー前のテーブルへ、茶器やケーキの乗った皿なぞを移してゆく手際の、何とも優美なことだろか。
「…。」
 こちらはそろりそろりと用心しいしい、キルティングのカバーにくるまれたティーポットを運んで来た次男坊。自分がリクエストしたらしい、純白の生クリームも可憐な装いの、オールベリーのショートケーキを前にしつつも…やはり理解が追いつかないか。父上が手にした華奢なフォークにその角を掬い上げられた、濃焦茶のチョコケーキを見つめておいで。そんな彼へと苦笑を浮かべ、最初のその一口目を、
「ほれ。」
 ひょいと、お口の前へと差し向けてやったお父様。ありゃりゃあ、おねだりしているように見えたかなと、多少は恥じらみ、まごついた久蔵だったものの。ほれほれと急かされるように振られると、ままよとぱくり、喰いついて…。

 「? …………、〜〜〜〜っ?!」
 「ほらほら、こっちをお食べなさい。」

 あ〜あと大急ぎで、こちら様はキャラメルソースのかかったベイクドのチーズケーキを選んでいた母上が、やはり一口を差し出して差し上げる。甘いと思っていたものが苦かった、何とも判りやすい反応が可愛らしいったらなく。
「…苦い。」
「ええ。正宗殿は勘兵衛様の好みも重々御存知ですからね。」
 それにと、ミルクをたっぷりそそいだ紅茶を差し出しながら、おっ母様が付け足したのが、

 「チョコレートは…というか、カカオはもともと甘くはないのですよ?」
 「???」

 カカオ含有量の高いチョコなんぞが男性向けにも出回っている昨今でなくとも、御存知の方も多かろう。もともと南方の産であるカカオのエキスは、大航海時代に欧州へ持ち込まれ、風味豊かにして油脂成分が多く、少量でも十分に滋養があったため、体が弱っているときの“薬”として、当初は主に王族や貴族の間だけで飲まれていた。だが、甘いどころか むしろとんでもなく苦いものでもあったので、飲みやすいようにとクリームや砂糖をどっさりと入れるようになったろうことは想像するまでもないことであり。その揚げ句、スィーツの本場フランスで磨かれ、菓子類と言えば、ケーキやクッキー、パイなどの焼き菓子に、飴やアンゼリカなどの砂糖菓子、冷たいジェラートにそれからチョコレートと言われるほどの存在となって。そうなってからやっとお目通りが許されたような、庶民や日本人にしてみれば、
「それが“最初”なんだからしょうがないとはいえ、ココアやチョコレートといえば甘いもの…という先入観が植えつけられちゃったのでしょね。」
 くすすと微笑った七郎次、お口直しにと生クリームを頬張る次男坊の髪を、よしよしと撫ぜてやる手も優しくて。

  ―― そういや、バニラだってそのものが甘い訳じゃあありませんしね。
      ?
      バニラっていうのは、ゴマより小さな黒い豆でしてね。
      ??
      アイスクリームやカスタードクリームに時々混ざってるじゃないですか。

 あれも香りから連想するほど“甘い”って訳じゃない、お菓子用のエッセンスを舐めたことがありますが、やはり薬のように苦かったのを覚えてますと。母上が説明して下さって。バニラといえば馥郁とした甘い香りを連想するのにね。実は、バニラ自体は甘くはないとは、

 「???」

 畑違い過ぎて、今初めて知ったこと。眉を寄せ、小首を傾げる久蔵の様子へこそ、かあいらしいことよと頬を緩めた壮年殿と母上であり。

 “見かけに拠らないのはこのお人も、ですよね。”

 切れ長の目許に肉づきも色味も薄い口唇。カナリアの羽根を思わす金色の髪をし、淡雪みたいな白い肌にはホクロさえないのが、ともすれば 作りものめいて見えるほどの整いよう。若木のように伸びやかな肢体と相俟って、綺麗がすぎてのそりゃあクールで鋭角で。そこへ加えて…寡黙で無表情なものだから。いかにも隙のない、取っつきにくそうな風貌をしているが。その実、
“気をつけといてやらないと、丸首のシャツの類いは後ろ前に着ることが多いうっかり屋さんだし、甘いものが好きで柔らかいものもお好きだから。”
 良い匂いのするおっ母様へは、暇さえあれば肩やお背
(せな)や手へと懐きたがる甘えん坊さんだし…なんて。微笑ましいお人よと、把握しておいでの七郎次みたいだが、それは…一部限定の甘えっぷりじゃあないのでしょうか。(う〜ん) そんなこんなのたあいないやりとりなんぞを交わしつつ。のんびりほこほこ、お外の寒気も何するものぞと、団欒の温もりにひたっておいでの島田さんチの皆様であったが、

 「…っ☆」

 不意に、惣領様が素早く手を撥ね上げてしまわれ。そんな妙な気配を察知した、あとの二人がはっとする。
「勘兵衛様?」
「…島田?」
 七郎次は横手のスツールから、久蔵に至ってはテーブルを挟んでの向かい側から。さっと立って来たそれぞれのなめらかな所作が、場合が場合でなければ何とも大仰に見えたほどの素早さであり。そんな二人に…久蔵は左の肩口から、七郎次は右側に寄り添う恰好でと、左右から不安げに覗き込まれてしまった惣領殿はといえば。自分が撥ね上げた右の手の先、人差し指の側面を見やっておいでで。
「…棘、ですか?」
「ああ。」
 どこの何を触ったか、チクリと来たのへ反射的に手を挙げたらしいと察したそのまま。やはり無言で立ち上がった久蔵へ、
「久蔵殿、裁縫箱も持って来て下さい。」
「…。(頷)」
 救急箱は敢えて訊かずともと織り込み済みなあたりが、やっぱりツーカーです、この母子。彼らの取らんとしている そんな対処へ気がついて、
「大したことではない。」
 こんな微々たることなんぞ、放っておいていいとの仰せを。だが、かぶりを振って聞き入れず、
「ついつい気になさって、集中に障っては困りましょう。」
 単純なデスクワークしか手掛けぬ身ならいざ知らず、どのような緊急の手配が、しかも唐突に任されるやも判らぬお立場。そこへと響いてはそれこそ言い訳にもなりませんよという意を含ませて、メッと強い視線を向けてくる七郎次であり、
「…。」
「あ、すいません。」
 戻って来た久蔵がどうぞと手渡したは、シンプルな外観の救急箱と、それから。薄い箱が左右に三段重ねになっているところが、いかにもお道具箱だというのを感じさせる作りの、白木の手提げ箱であり。銘々の段がスライドさせられるようになっている、その一番上から針山を取り出すと、テーブルの下で埃をかぶっていた卓上ライターを引っ張り出した七郎次。かちかちと何度か空打ちをしてから上がった炎へ、縫い針の先をかざして見せて。
「こうすると殺菌消毒したことになりますからね。」
 これは久蔵へ言ったのだろう。そしてその久蔵はと言えば、
「…。」
 元いたところ、勘兵衛の左側へと身を寄せたものの、
「…っ。」
 七郎次の手並みを眺めやるうち、あっと驚いたそのまま…お顔を勘兵衛の肩口に伏せたのが何とも印象的であり。
「…?」
 彼の見せた思わぬ態度へこそ、えっ?と驚き、何がどうしたかが判らぬ勘兵衛をよそに、
「ごめんなさい。そういえば、久蔵殿は痛いこと嫌いですものね。」
 七郎次が告げたのは、今度こそは勘兵衛へと聞かせるためだろう。注射が怖いわけではないが、自分へではなくの誰かの身へ、あんな鋭い針が食い入るのは見てたくないと。そんな性分をしている彼だということ、ちゃんと知ってる母上と、今まで知らなかった父上と。
「…。」
 そうであったかと言う代わり。久蔵がくっついていた格好の左側の腕を、肘が頭上になるまでの高々と上げると、そのままひょいと。次男坊の痩躯を懐ろへと掻い込みがてら、自分の胸元へお顔を伏せさせてやる勘兵衛様だったりし。
「あ…。」
 女々しい奴めと振り払われたかと感じた次の瞬間、その身を精悍な匂いと腕の感触にくるまれ。頭の後ろへ添えられた大きな手で、ぱふり、伏せられたのが何とも頼もしい胸板で。
「〜〜〜。/////////
 ありゃりゃ、これって〜〜〜、と。打って変わって真っ赤になった次男坊の横顔を、ちらりと視野の端に入れ、
「♪♪♪」
 あやされた彼と、そんなお茶目をしでかした御主と。双方ともの ほこほこした気分を、自分まで分けてもらったような気がして、こちらさんもまた妙に楽しくなってしまったおっ母様。いかにも持ち重りのする、勘兵衛の大きな手を預かってのそのまま。極細ペンですっと引いたような紅色の線の端、そこが入り口になったろう僅かな毛羽立ちを針の先にて探り出し。そろりと針を侵入させて、慎重に慎重にと針先へ添わせて…数刻かからず掻き出す手際は大したもの。
「違和感はありませんか?」
「ああ。何も残ってはない。」
 世話をかけたなと礼を唱えれば、いいえと微笑った七郎次だったが。針を針山へ戻した手が、御主の懐ろへと再びの伸びて来て、
「済みましたよ? 久蔵殿。」
 そこにあった綿毛をくしゃり、指を差し入れ、撫でてやれば。そろぉっと上がったお顔が、何ともかあいらしいったらなく。

  ―― お茶が冷めましたね。淹れ直しましょうか。
      いや、そうまでは…久蔵?
      ああ、ここが気になったのですね。何かぶつけたんでしょうかね。
      そんなテープを張ってもよいのか?
      サージカルテープですから、目立ちはしませんよ。

 後で紙ヤスリをかけときますねと、おっ母様が視線で撫でたは。次男坊が敵討ちのように半透明のテープを張って覆った、テーブルの縁であり。堅いものでも当たったか、角が毛羽だっていたらしい。

 “本当に、かわいらしいお人ですよねvv”

 想いもよらない姿を見ても、そしてそれが…例えば、人性的には未熟な至らなさや弱さであったとしても。幻滅なんかしないし、思慕の念も薄まらない。大切な人というものは、本当に心から護りたい人というものは、そういうものだと知っている。足らないトコまで愛しくて、それがどうしようもない欠陥ならば諌めてやりゃあいい。一緒に歩む道すがら、どうしても相手の足が鈍るようなら、急かすことなくの励ましながら、導いてやればいいだけのことと思えてやまず。

  ―― そんな風に思っての泰然と構えるは おっ母様ばかりではないということ。
      伴侶様から気に留められてるご自身は、はてさて気づいているのかどうか。

 依然として懐ろへと収まったままな久蔵にだけ、独占させることもないかと思ったか。こちらもちょいと茶目っ気を出して、手近にあった御主の腕を、両腕がかりで自分の懐ろへと七郎次が抱き込めば。

 「お。」

 これはこれは、思わぬ格好で得られた“両手に花”だのと。目許を細め、味のある表情となり、くすすと破顔しての微笑って下さった惣領様であり。その濃色の蓬髪を暖める陽光が、もっと暖かさを増しますようにと。窓の外をヒタキが一羽、チキキッと飛び立っていった午後だった。






  〜Fine〜  08.1.24.


  *これの手前のあのお話と、どっちを先に書こうかと迷ったのですが、
   やっぱ、こっちが後ですよねぇ。
   大好きな人がいて、大切な人がいて、
   そういう人たちから ちゃんと判ってもらえているのなら、
   どんな波風だって乗り越えてゆけるもんです、はい。


めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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